お葬式も個人尊重の時代に

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家族がなくなるというのは、とてもとても悲しいことです。

しかし、なぜこんなに悲しいのでしょうか。

心の中に悲しさのルーツをたどっていくと、自分が亡くなった家族を心から大切に思っていたらだということに思い当たります。

家族と過ごしたかけがえのない時間があったからこそ、その時間が再びやってこないことに悲しさを感じてしまうのかもしれません。

そういう、素朴な悲しみの感情を癒すために、葬儀や通夜はあるのかもしれません。

しかし、一般的な葬儀を経験した人の中には、悲しみが癒されるどころか、意味のわからない儀式が多くて疲れ果ててしまい、葬儀の後にどっと悲しみが押し寄せてしまった。。。と語る方がいらっしゃいました。

この気持は、一般的な葬儀を経験した人の誰もが感じている感情ではないでしょうか。

意味の分からなくなってしまった宗教行事。

強要されて読む経。

昨今、心を失ってしまったかのように思える宗教。

故人も、遺族も、顔もしらない僧侶。

もし、こんな状況を少しでも感じてしまったら、そのお葬式は遺族の悲しみを癒す力を失ってしまったお葬式なのかもしれません。

もちろんお葬式には社会的な意味もありますから、決して無駄ではありません。

が、近代の一般的な葬儀においては、人々に対するヒーリングの機能は失われてしまったといえるのではないでしょうか。

そこで、最近注目を集め、既に現代葬儀として人々に広く認知され、浸透しているのが家族葬と、それにともなう自然葬全般です。

例えば、この自然葬の中で海洋葬とよばれるものがあります。

それは、海へお遺灰をお還しする儀式です。

未だ一般的な葬儀とはかけ離れているかのようですが、葬儀という儀式そのものを形式や宗教などから、遺族たる個人に取り戻したかのようなスタイルに転進させたお葬式です。

故人を海に還すと同時に、遺族も海に癒され生命の循環を意識できる葬儀でもあります。

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